
|
◆ 非売品のお誂え[読み物編]

やまざき好みの着物と帯をお誂えさせていただきました。

|
 |
◆ 池口定男と久保田一竹(敬称略)

京都・西陣の織屋業の家に生まれた池口定男は、父方に平安時代の刀工 三条小鍛治宗近に端緒を見出すことができ、母方(井関家)に天皇の御衣装束の制作を許される御寮織物司に選ばれた六家の筆頭の紋屋井関とあり、先祖から受け継がれた「ものづくり」の遺伝子と、生まれた時から常に誰かが機音を立てている環境が、後に株式会社池口にて有名な「織の宝石 佐波理綴」を生み出すことになります。

この佐波理綴を生み出す試行錯誤の時代に、ひとつの大きな出会いがありました。
それは、室町時代に隆盛を極め、後に技術の途絶えた縫締絞り技法の文様染め「辻が花」の復活に挑んでいた久保田一竹です。
昭和後半の晩秋に京都ロイヤルホテルで開催されていた個展で出会ったふたりは、後に意気投合し交流が始まります。
その後、池口と多く関わる中
久保田一竹の「辻ヶ花」染も、いくつもの作品で復活を表現していました。

この辻ヶ花の着物は、池口に提供していました久保田一竹の作品の中の一つになります。
生地全体に金糸が織り込まれている「金通し」の生地に、モダンな菱枠に辻ヶ花を表現しています。

当時の取引関係から、染と織のやまざきに分けていただいた訪問着です。

この度、次にご紹介する洛風林の袋帯をお誂えしていただきましたお得意様に、この辻ヶ花で袋帯をコーディネートさせていただきました経緯から、是非ともこの訪問着も装っていただきたく、お勧めの上お誂えしていただきました。



◆ 洛風林

西陣帯地界の重鎮と言われた三宅清治郎氏(洛園翁)の元に奉公に入り、当時の新進気鋭の図案家たちと共に帯の製作に励み、この時、三宅氏から名付けて頂いた若手の染織研究グループに「洛風林」というグループがございました。
その「洛風林」のグループから一人独立する際に、グループ名の洛風林を頂戴許された堀江氏が創業した会社を「洛風林」と言います。

ちなみに洛風林は織屋さんではなく、帯の専門問屋さんとなります。

この袋帯は本金糸を手織にて織り込み「鳥獣戯画」を表現しています。



|
|
|
|